新堂の
ものがたり

新堂の生食は、1986年の盲導犬クイールの誕生と共に始まりました。「よい盲導犬を育てるためには、よい食べものが必要だわ!」創業者の水戸レンは、母犬ツキスミが出産を迎えるときに考えました。そして、生まれた5匹の子犬に肉屋で買ってきた牛肉を自分で挽き、小さく丸めて指先に乗せて食べさせていました。それがクイールと兄弟犬の離乳食でした。

「完全生食」ができるまで

"こんなに不味かったの?!"

クイールが巣立った後も、水戸は愛犬に生の牛肉や鶏の頭を蒸して食べさせていました。ただし、この頃はドライフードとの併用でした。体にいいと謳っているアメリカの高級ドッグフードです。あるとき「これ、本当に体にいいのかしら?」と素朴な疑問を抱いてドライフードを食べてみると、恐ろしく不味いことに気づきました。

何が犬にとって最善なのか、そのときから彼女は問い続けていくことになります。

I・ビリングハースト博士の
本を読む

写真:書籍『Give your dog a bone(犬に骨を与えましょう)』

1993年にオーストラリアのI・ビリングハースト博士が『Give your dog a bone(犬に骨を与えましょう)』を出版。その成果を認めたオーストラリアの盲導犬協会では、博士を栄養管理のコンサルタントに迎え、生食を実践していました。この協会の設立に参加した多和田悟さんが、99年に生食の情報を水戸にもたらします。しかし、日本語には翻訳されなかったため知り合いに訳してもらって、それをもとにオール生食を実践していきました。

アルコイリスの家族のために

写真:アルコイリスの仔犬たち

2002年、当時の愛犬アルコイリスが子犬を出産した時は、離乳食からすべて生食で育てました。子犬がもらわれて行った先でも「同じごはんを食べさせたい」という希望があり、たくさん作って分けることになります。この水戸家のごはんは想像以上に評判が良く、他の飼い主からも依頼が舞いこんできました。

水戸家のごはんから
「完全生食」へ

写真:台所で生食を作る

水戸家のごはんは少しずつ広がり、日本各地に宅配するようになります。多くの犬が食べてくれる喜びを感じ、さらによいものを届けたいと、水戸は仕事のパートナーである松重章と試行錯誤の日々を送りました。

06年から2年連続でI・ビリングハースト博士が来日。水戸と松重は博士が開いた2回のワークショップに参加し、博士から直接レシピを学び、サプリメントなども加えたオリジナルレシピを完成させました。また、犬の一生を支えるために、パピー食、シニア食も開発。日本初、メイドインジャパンの生食を「完全生食」と名付けました。そして07年、株式会社新堂が発足するのです。

志を受け継いで

水戸家のキッチンで作られていた完全生食は、良いもの、確かなものを愛犬に与えたいという人たちの間で少しずつ知られていきました。ところが完全生食の開発に尽力した松重が、病のため若くして急逝します。水戸も高齢となり現役を退くことになりました。
松重の志を継いだ姉(松重文)と従妹、友人たちで新堂を運営することになった矢先、東日本大震災が起こります。食事は毎日のこと。材料の調達に苦心しながら、夢中で完全生食を作り続けました。それと同時に、スタート当初から肉や野菜を提供してくれた生産者の姿勢が、新堂の品質を裏付けていることを痛感しました。

たとえば米沢郷牧場の鶏肉は、牧場主が「生で食べても大丈夫という育て方をしている」と太鼓判を押したもの。原木しいたけや小松菜などの野菜も、こだわりを持って取り組む農家さんから届けられています。自然相手の厳しい条件の中で、信念を曲げずに作り続ける生産者のおかげで完全生食は成り立っており、感謝の思いは尽きません。

そして忘れてはならないのは、新堂の理想に共感し、支持してくださる愛犬家の方たちによって新堂が支えられていることです。このお客さまとのつながりがあるからこそ、私たちは背筋を伸ばして完全生食を作っていけるのです。

盲導犬クイール

子犬を盲導犬にしたい!

写真:盲導犬クイール

愛犬家だった創業者の水戸レンには夢がありました。それは、「自分が取り上げた子犬を盲導犬にしたい!」ということ。

犬は人間と共に生きる動物です。人のために働くとき、犬はいきいきと活躍します。盲導犬は犬にとって誇り高い仕事ですが、当時の日本ではその数がまったく足りていませんでした。そこで、盲導犬となる幼犬の提供を、ボランティアで行いたいと考えたのです。

多和田悟さんとの出会い

写真:多和田さんとレトリバー

盲導犬は血筋が重視され、両親ともに盲導犬でなければなるのは難しいと言われています。水戸の飼っていたツキスミは、盲導犬に多いラブラドールとはいえ普通の家庭犬でしたが、盲導犬訓練士の多和田悟さんと出会って、夢は現実となりました。ツキスミを盲導犬の繁殖犬と交配させることができたのです。

1986年6月25日の明け方、東京杉並区にある自宅でツキスミは5匹の子犬を産みました。多和田さんが盲導犬として選んだ1匹は、脇腹に鳥が羽を広げたようなブチ模様を持つ、おっとりとした子犬。“鳥の羽根”を意味する「クイール」という名をもらって、盲導犬への一歩を踏み出します。

本や映画になったクイール

写真:盲導犬クイールのチラシ

『盲導犬クイールの一生』が2001年に出版された後、2003年にはテレビドラマ化、2004年には映画化され、大変な評判をよびました。そして、盲導犬がどのような一生を送るのか、多くの人に知られることとなりました。

よい犬を育てるために私たちができるのは、何より良質なごはんを提供することです。クイールを育て、完全生食を作り上げた創業者の情熱と開拓精神は、新堂の中に今も脈々と流れています。